この丸メガネはミュージシャンなの?

音楽ブログを早々に諦め、ゆるめのサブカルブログへ男は舵をきった

白目の歌姫・ビリーアイリッシュとバッドガイと俺

ビリー・アイリッシュ

ビリー・アイリッシュ

珍しく結構な頻度でテンポよくブログを書いている。
やる気があるかといえばそうではない
今もわりと死んだ目かつ無表情でこの文をタイピングしている。

やる気はないが、それ以上にやることがないのだ。
ステイホームな在宅勤務で、退社後にHUBにふらりと寄ることもなくなったし、六本木のドンキを無意味に徘徊することもなくなった。

読書は好きだが、なぜか通勤の電車の中でないとkindleを開く気にならない。
虚無的にYouTubeを観続けることもできるが、翌朝なにも残らないのがなんか悔しくて、ちょっとでも生産的な作業をしたいと思った。

というわけで、今こうして抜け殻のような顔でブログを書いている。

なぜビリー・アイリッシュを語りだしたのか

なぜおれが突然、ビリー・アイリッシュをテーマにしたのか。
"ビリー・アイリッシュと出会い、人生が変わった"から。
と言いたいところだが、残念ながらまったく違う。

そんなティーンエイジャーの女子のようにほがらかに宣言するには、おれは歳をとりすぎ、そもそも女子であったことすらない。

なぜテーマにしたのかは、今まさに聴いていたからだけで、それ以上の意味はない。

ただ、今聴いていたというのは割とおれにとってすごいことで、というのもおれの音楽の再生履歴の男女比率は男子校から共学になって1年目の高校のような感じで、とにかくムサ苦しい男性アーティストばかりだ。

いけどもダミ声、戻れどダミ声、スキップしてもダミ声である。

そんなラインナップに加わったということは、やはりおれはビリー・アイリッシュにかなり惹かれているのだろう。

ビリー・アイリッシュ・パイレート・ベアード・オコンネルとの出会い

彼女の存在を知ったのは去年の夏とか秋とか、もしかしたら春かもしれないとかそんなときだったと思う。

つまりよく覚えていない。
いつの間にか知っていた。
と思う間もなく、いつの間にか周囲の人間の誰もが知るほどの知名度を獲得していた。
そんな印象だ。

ネットを徘徊してなんとなく頭に入った知識というのは、そんな風にインプットされたタイミングが思い出せないことが多々ある。

とにかくアルバム「When We All Fall Asleep, Where Do We Go?」の白目を向いたジャケがいつの間にか、脳内に入り込んでいた。

おれが知った段階ですでにアメリカではとんでもない売れ方をしており、さて今の売れ線はどんなもんかと聴いたのだが、「なんか軽めのEDMとポップスの合いの子っしょ」みたいなぬるい予想は思いっきり裏切られた

なんかとにかく暗い閉塞感がえぐい。

で、こう思った。好きだこれ。と。

そう、おれは暗いのが好きなのだ。
ただ好きだからゆえに、これがどちらかといえば特殊な感覚だというのもわかっている。
正直ビリーアイリッシュのこのアルバムが万人受けするとは思えない内容だった。
だが、しているのだ。しまくっているのだ。現実は。
これが売れているのはすごいことだと思った。

少なくとも日本人のアーティストではちょっとこの状態は想像がつかない。
そういうのが好きな感じの陰キャラ気味の女の子が、そういうのが好きな者同士でいったカラオケで歌われる歌。
そんな感じだった。

あと、あまり関係ないが、今なんとなくwikiを開いてみたら、
名前が「ビリー・アイリッシュ・パイレート・ベアード・オコンネル(Billie Eilish Pirate Baird O'Connell)」と書かれていて、シンプルに長えなと思った。

まあ名前の長さに関しては、パブロ・ピカソの本名を知って以来、おれは特に驚かない。
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・チプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ(Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno Cipriano de la Santísima Trinidad Ruiz Picasso)」

もう中に"ヤサイマシマシ"が入っていても気づけない。

 

そしてbad guyへ

youtu.be

 

で、まさに2000年代を代表とする破格のアンセムと化したご存知「bad guy」だ。
ここにYouTubeの動画を持ってこなくとも伝わる誰もが知っているあの曲である。

この曲(というかビリー・アイリッシュ)について語られた記事は散々見てきた。
Z世代の重く憂鬱で自閉的な世界観をリアルに表現し、熱狂的な支持を得た云々。

とはいえ、ここでそのようなビリー・アイリッシュ論を書く気はない。
Z世代の定義さえ面倒くさくて調べる気にならないおれに、そんな資格はそもそもない。

ただこの「bad guy」の海外のライブ映像をYouTubeで最初に観て思ったのは、「そんな騒いで聴く曲じゃねーだろ」ということである。

もうね、観客(主にティーンエイジャーの女子)のテンションがめちゃめちゃアッパーな曲のノリで大合唱して、飛び跳ねて躍り狂って泣き叫んで、また大合唱してーーっていうとんでもないお祭り騒ぎになっているのだ。

bad guyのビートは確かにノリやすいけど、この曲の命はビリー・アイリッシュの気怠いハスキーなかすれ声だろ、と。
そのアッパーな大合唱は、逆にビリーに失礼だろ、冒涜だよ、と。
キレろ、ビリー。おれが許す。キレるんだビリー。

そしたら、ビリー・アイリッシュ自身が、踊って手を叩いて観客をあおりまくってきたから、おれは驚いた。

「これがZ世代か。意味はわかんないけどZ世代か」

そう自分の中で整理がついた瞬間、おれの体がむずむずし始めた。
気づくとおれは、YouTubeを再生したままのスマホを片手で高く上げ、ベッドルームで狂熱のヘッドバンキングを始めていた。

そのとき頭をよぎったのは、「おれの一番の武器はこの環境適用能力精神の柔軟性ではないか」ということだった。

さて、寝よう。