この丸メガネはミュージシャンなの?

音楽ブログを早々に諦め、ゆるめのサブカルブログへ男は舵をきった

ポカリを片手に「山をなめるな」とあの娘は笑った

今週のお題「カメラロールから1枚」

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ぐんぐんとてくてくと彼女は去っていく

女の恋愛は「上書き保存」 男の恋愛は「名前をつけて保存」

よく言われるこの説ーー女の恋愛は「上書き保存」  男の恋愛は「名前をつけて保存」というやつ。

全員に聴いてまわったわけではないが、それでも言い得て妙というか、けっこう当たっているのではないかなと思う。
少なくとも、おれ個人に関していえば当たっている。

名前をつけたファイルを入れたフォルダの場所を丸ごと忘れたり、フォルダの中で別々の名前のファイルがごっちゃになったりしている困った事態はたまにあるが、それでもおおむね当たっている。

どんなに悲惨でむごい別れ方をしても、楽しかった思い出は楽しいままで残っているから不思議だ。
嫌な思い出はすぐに忘れて、良かった思い出だけとっておく、そんな都合の良い脳のおかげで、おれは今日もへらへらゆるゆる平和に生きていられるのではないかと思う。

で、それはいいとして、そんなもう隣にはいない彼女山登りへいったときの写真が出てきた。

暇をもてあまし、僕らは山へ向かった

きっかけは忘れた。
たしか8月の終わりとか、そんな夏の暑い時期だった。
土曜の昼に惰性的に見ていた王様のブランチで、山登りの特集をやっていたのを観たからかもしれない。

突然、彼女が「山にのぼりたい」と言い出した。
目をみると「山ガールになりたい」とくっきり刻まれている。
マジか。とおれは思った。
もちろん登山の経験なんておれにはない。

おれは今や "STAY HOMER" というジャンルを確立して、インドア派のイメージを上げていきたいと企んでいるほど、硬派な生粋のインドア男だが、彼女はキャンプだ花火だバーベキューだ夏フェスだと友達といっしょに外を軽快に遊びまわるのが趣味の行動的なアウトドアガールだった。

そんな二人が不思議とつき合うことになったわけだが、インドア野郎と刺激ゼロの休日を共に過ごすこととなり、彼女にフラストレーションが溜まりつつあるのは明らかだった。

不穏な空気を敏感に読んだおれは、
「山いいね! よし明日、高尾山に行こうぜ」と言った。
本心を隠して「いいね!」をつけられるのが大人の男だ。

高尾山という名前をいきなり出したのは、とりあえずアクセスのいい身近な山でちゃちゃっと済ませておきたいという思いが一番の理由だが、そもそも登山経験のない二人が選べる選択肢なんて高尾山以外にないという現実問題もあった。

当然のように、彼女は不満顔だ。
『ちがう。そういうんじゃない。もっとちゃんとした山に登りたい。高尾山なんて山じゃない
「いや高尾山は意外とガチな山だよ。それをおま、天狗への冒涜だぞ」
『天狗?』
「高尾山は天狗伝説が有名じゃん。知らないの?」
『ぜんぜん知らない。なにそれ?』
「いやおれもよく知らないけど。なんか天狗的な人がいたみたいな伝説? あれでもそもそも天狗って人なんだっけ?」
『知らないしキョーミないし、もういいよ天狗は』
「あれ、てかそもそも天狗ってなに? 生物学的な名称だっけ」
『…………』
「天狗ってさ」
『天狗天狗うるさいな。とにかく高尾山はイヤだから、どっか他探してみる』

そして山に取り憑かれた彼女がネットで調べてきたのが、高尾山頂から隣山を経て陣馬山へと向かい下りてくる奥高尾コースと呼ばれる縦走路だった。

高尾山から陣馬山への奥多摩コース

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高尾山の山頂から陣馬山へと続く西のエリアは「奥高尾」と呼ばれ、山頂から山頂へと登山を楽しめる「縦走路」となっています。各所にある茶屋では食事や飲み物も購入でき、登山初心者に人気のコースとなっています。

 
まあ初心者向けって書いてあるし、危険は少ないか。
「了解、じゃあこれ行こう」とおれは言った。
『じゃ明日は8時半に高尾山ね』
「はっや」
『だってこれ普通に歩いて6時間くらいかかるらしいよ。陽が出てるうちに下りたいじゃん』
「ろく……まじすか」
『せっかくの山なんだから、それくらい歩かないと』
「せっかくの日曜なんだからもうちょい休まないと」
『おまえ働いてないだろ』
「あれ天狗ってそもそも」
『うるさい天狗に逃げんな』

さすがに6時間はびっくりした。
おれは平地でも6時間歩ける自信がなかった。
というより彼女だって、そんなに体力があるタイプではないのだ。
ただ山の魔力がそうさせるのか、彼女の目は爛々と輝き明日きていく服やリュックの用意をはじめていた。


 

そして翌朝、おれらは予定通りに高尾山の入り口に8時半につき、あっさりと山頂まで到達した。

おれはそこそこの満足感に浸り、このままさりげなく帰路につけないかと誘導を試みたが、無駄だった。
彼女は山頂で写真を撮ることさえなく「さて行こう」とてくてく前を歩き出した。

ちなみに、高尾山頂に至るまでに各所にある天狗のお宮とか天狗のおみくじとかも、彼女は完膚なきまでにスルーだった。
天狗よ…。

高尾山から陣場山


「山をなめんなよ」

まだ朝が早いためか、高尾山頂でさえ人はまばらだったが、その先のルートとなるともう人は皆無だった。
日差しが木々の間からこぼれてきて足下を照らす。
濃密な緑の匂いに包まれ、様々な鳥のさえずりと落ち葉を踏む二人の足音だけが響く空間は幻想的だった。

おれは「山へ来て良かったな」とじんわり思った。
環境への順応性が軽薄なまでに高いのは、おれの数少ない長所だ。

だが進むにつれて足場は徐々に悪くなっていき、おれは履いてきたナイキのバスケットシューズがかなり不利なことに気づいた。
コートであれだけのグリップを発揮するシューズも、枯れ葉と泥の上では無力のようだ。

初心者用とは思えないほど、道は狭く、横を見ると急な傾斜のついた斜面だ。
ここで落ちて重傷をおった人もいるのではないか。いや今までいなかったとしてもおれがその最初のひとりになるのではないか……。
と身のすくむ思いでこれはしっかり気を引き締め直そうと思う間もなく、おれはずるりとすべり、歩道の落ち葉の上に尻餅をついた。
あっぶねえ。
斜面に落ちなくて良かった。

前方をぐいぐい歩く彼女が、『やれやれ』と言った目で、おれのとこまで引き返してきた。
おれがケツについた葉っぱを払っている間に、彼女はリュックからポカリスウェットを取り出してごくりと飲み、笑顔でこう言った。
「山をなめんなよ」

これが言いたくてしょうがなかったんだろうな、と思うくらい、満足げな笑顔だった。

そしておれらは先へ向かった。