はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
「はてなインターネット文学賞」というワードと「記憶に残っている、あの日」というワードで、心の奥に封印していた記憶がとつぜん甦った。
それは、10数年前にあった「YahooJapan文学賞」にまつわる記憶だ。
YahooJapan文学賞とは、あのヤフー株式会社があの小学館と組んで、かつて大々的に開催していた文学賞である。
10数年前、おれはその賞に応募した。
挑戦したのは2007年に開催された第二回だ。今調べたから間違いない。
10数年前のあの時、おれは若かった。若いゆえにこじれてもいた。
働かなくても許されるぎりぎりの年齢を盾に、明るい引きこもりという斬新なジャンルの生き方をしていて、とにかく時間とエネルギーを持て余していた。
で、さすがにやばいなと自覚症状もでてきた中で、その怠惰な状況を劇的に変えるきっかけになればと思い、YahooJapan文学賞への応募に至ったのだ。
よし社会に出て働こう。とはならないあたりが実におれだ。
YahooJapan文学賞を選んだ理由
数ある文学賞の中で、なぜYahooJapan文学賞(以下ヤフー文学賞)に応募しようと思ったのか、その主な理由は3つある。
1. 対象が短編小説だった
まず対象が短編小説であったことだ。
これはおれみたいな一度も小説を書いたことのないビギナー作家にとってすごく重要だ。
完成させるにあたり気合と根性が長編ほど必要ない上に、つたないテクニックのメッキが剥がれる前に逃げ切れる可能性が高いからだ。
2. 2作品が受賞する
ヤフー文学賞の受賞作は、別々の選考方式で2作品が選ばれる。
他の文学賞ではなかなかないシステムで、読者からの投票で選ばれる賞と、審査員が選ぶ賞との2作品が受賞となるのだ。
検索エンジンの権威として一般ユーザーへの強い訴求力を活かしつつ、文学賞としての権威も実現したい思惑がうかがえる、実に欲ばりさんの構成だ。
まだ自分の作風さえわかっていないおれにとって、これはプラスだった。
ヤフー文学賞には相当な数の応募が見込まれるが、それでも別々の視点から賞が2作選ばれることは、どんなボールを投げてもどちらかがキャッチしてくれるのではという安心感がある。
ちなみに第二回目の選考員は、芥川賞作家である阿部和重氏だった。
おれは阿部氏の作品を未読だったが、そのどこか醒めた鋭い眼光の写真から「クセがすごそうだな」と思ったのを覚えている。
第一回目の審査員だった石田衣良氏と比べ、一筋縄ではいかないチョイスをしてくるタイプに思えた。
あくまで顔写真からの印象である。
3. Yahooのトップページで大々的に宣伝される
で、最後の理由は、できたばかりの文学賞とは思えないスポットライトのまばゆい輝きだ。
ヤフーが主催しているので当然ではあるが、賞の最終選考ともなるとヤフーのトップページに投票用特設サイトのリンクが貼られ、投票期間中は連日ヤフー上でPRされる。
もちろん受賞作が決まった際には、ヤフーニュースにその名が踊る。
これはすごい。
テレビを凌ぐ巨大媒体で、芥川賞・直木賞と同列に扱われるのだ。
第一回目を受賞した若い女性も、インタビューを受けたり新聞で取りあげられたりと素敵なことになっていた。
以上の理由から、おれはヤフー文学賞を狙うことにした。
初めての小説執筆のてんやわんや
よし応募するぞとはなったが、読書は好きなものの執筆などしたことのないおれだ。
で、経験の浅さを埋めるべく作戦を練ることにした。
おれの弱点ははっきりしている。
文章の書き方のイロハもわかっていないし言葉も知らない。要するに他の応募者と比べて文章力が圧倒的に足りていない。
無理に取りつくろった文章を書いたところで、すぐボロが出るのは間違いない。百戦錬磨の選考員は即座に見抜くだろう。
となると、崩れた文章でも成立する形をとるしかない。つまり言葉遣いが乱れていても違和感のない若者を主人公にして一人称で語らせるのだ。
これで文章力のハンデを無効化できるはずだ。
で、練習がてらストーリーも考えないまま、「おれは…」でとりあえず書き始めて、おれは想定外の事態におちいった。
「おれは…」の一人称で書く文章の主人公は、自然とおれ自身の性格が反映されてしまい、現実で動かないおれは物語の中でも動こうとしない為、ストーリーが展開できないのだ。
上記の文章を読んで、頭に「?」が浮かんでいる皆さん安心してください。私もまったく同じ状態です。
仕切り直して整理すると、下記のような事象が起きたのだ。
「おれは…」の一人称語りで小説スタート。
→
キャラの性格に、おれの出不精な引きこもり気質が反映される。
→
そんな消極的な性格だから、主人公が動かないし部屋から出ようともしない。
→
主人公が動かないから、ストーリーがまったく進まない。
→
終了。
こんな袋小路にはまってしまったのだ。
じゃあ逆に、全然違う性格のキャラクターにすればどうだろうと果敢にトライしてみたがこれもダメだった。
なんていうか自分と性格の違う人間を一人称で書くのが、違和感ぷんぷんで生理的に気持ち悪くてしょうがない。
自分がこんなに神経質だとは思わなかったが、気持ちが悪いものはしょうがない。
「おれは」の三文字で、おれは早くもスランプにおちいった。
で、作家気分で難解な顔で腕組みしたり、現実逃避で惰眠をむさぼるなどした後、ものは試しで主人公の性別を変えて女子高生に設定してみた。
すると不思議なことにスルスルと筆が走りだしたのだ。
おお! 初めてのスランプに一筋の光が差した。
たぶんこういうことだ。
主人公を男性にした場合、自分と違うキャラにしたとて、どうしてもリンクする部分は出てくる。
その自分と他人を行ったり来たりする中途半端な視点が妙な違和感を生じさせて、おれは気持ち悪くなっていたようだ。
対して女子高生を主人公にすると、あまりに自分からかけ離れていて、一人称でありながらうまい具合に客観性を保つことができたのだ。
現実の状況は、メガネ野郎が女子高生の一人称でストーリーを語るという、先ほどより100倍は気持ち悪いことになっているのだが、それは見て見ぬスタンスを貫くことにした。
こうして「文章が崩れていても成立して、一人称でも客観性を保てる」という理由から、主人公は女子高生に決まった。
ほぼ同年代とはいえ、女心のわからないメガネ野郎が選んでいい選択肢ではないのだが、消去法でいって女子高生しか残らなかったのだから、これで戦うしかない。
おれは心にブレザーの制服をまとった。
初めての小説完成、そして賞への応募
主人公の人物像が定まったら次はストーリーだ。
これは早かった。
今回おれは完全に賞狙いに徹していて、自分の趣味は一切出さずに万人受けを狙うことを決めていた。
UKパンクとHipHopの野郎ボーカルの曲ばかり聴いて、町田康や中島らもや西村賢太を愛読するおれが趣味そのままで向かっていったら、ヤフー文学賞に選ばれるわけがない。
おしゃれなパスタを求める客層にラーメン二郎を届けたとて、誰も幸せにならないことはわかっている。
で、おれはみんなが大好きそうな"喪失感による感動系のストーリー"に方向を絞った。
短編なので展開は2回もあれば充分。
純文学の特権である"結末を濁してもなんだかOK"の利も存分に活用した。
まずありがちな展開のありがちなストーリーをざざっと一気に書きあげ、推敲する中で甘さがぎりぎり残る程度まで削ってドライなリアリティを持たせ、めでたく初めての小説は完成した。
正直、本来書きたい作風とかけ離れた作品なので、執筆中に頭には「けっ」という思いが渦巻いていた。
完成した際も「まあ上手く書けたな」という、パズルを解いたような達成感はあったものの、興奮や充実感はまったくといっていいほどなかった。
タイトルは登場人物からとって「サイゴー君」とした。
締め切りぎりぎりに原稿データを送信して眠りについた。
ヤフー文学賞最終候補作選出、そしてヒルズへ
数ヶ月後、それを報せるメールはきた。
送信元・ヤフー株式会社。
「ご応募いただいた作品『サイゴー君』が、YahooJapan文学賞の最終候補作に選ばれました。公開前に一度お会いしたいのでヤフーのオフィスにきてください」と。
おれは六本木ヒルズ内に当時あったヤフー本社をのこのこと訪れた。
たしかヤフーと小学館とで二名の担当者さんがいて、名刺をプレゼントされ、作品をベタ褒めされ、これから行われる受賞作決定までの説明を受け、最終稿のチェックをした。
自分を褒めてくる言葉は、もれなく社交辞令だと思いこんでいるおれだが、
「綿矢りささんと同じ天性のリズム感と文章センスを持っていますね」
この言葉には痺れた。シンプルに嬉しかった。
おれは生粋の綿矢りさフリークなのだ。
屈強な男性作家ばかりのおれのkindle内で、綿矢りさは紅一点として、唐揚げ弁当に混ざったさくらんぼのように、掃き溜めの鶴のごとく、アナタハンの女王化している特別な存在である。
嬉しさのあまり、その言葉だけその場でメモった。
汚れつちまつたアイデンティティ
で、ヤフーから帰還して数週間後、いざ最終候補作が発表となってからが凄かった。
現在ほどでないにしろ、すでにSNS文化がそれなりに広まっていた時代だ。
仲の良い友人にさえほとんど言ってなかったにもかかわらず、Yahooのトップページに載るやいなや、知人たちから「読んだよー見たよーすごいねー小説なんて書いてたんだー」などなど、多くのメールが飛んできた。
ネット掲示板でも文学賞のスレッドがたち、匿名の評論家たちが書評を寄せている。
ただ、ここでおれに予想外の感情が出てきた。
「この作品を私のすべてだと思わないでください」「この作品で私のことを分析しないでください」「お願いだから読まないでください」といった、恥辱的な要素が多く含まれた否定の感情だ。
おれが好きな音楽や文学には、相当な偏りがある。
偏りがあるというのは、それだけこだわりが強いということだ。
そしてその偏った作品たちが収められたレコードラックと本棚を、おれはアイデンティティの拠り所としていた。
それが今回書いた小説ときたらどうだろう。
とてもじゃないが、その本棚に並べられるような代物ではない。
サイゴー君の中には、作品に対する愛や誇りはおろか、おれという人間を形成する要素が何も入っていなかった。
おれが好きなのは本を書いた作者の人間性や人生が透けて見える血の通った作品であり、そこらの職業作家がベッドルームで妄想をちょちょいと文章化したような作品を、おれは唾棄すべき対象として見ていたはずではないか。
今でこそオーバーな青臭い感情に思えるが、当時おれは自分が読んだり聴いたりしてきた作品を冒涜してしまったと思った。
そして何より、このサイゴー君という作品が、おれという人間が外へ訴えたかった物語として誤解して捉えられるのが、どうしても我慢できなかった。
中原中也っぽく言うと汚れつちまつたような、このなんとも言えない不快感をうまく消化するには、おれは若すぎた。中原中也っぽく言ったことに深い意味はなかった。
とにかく、もう二度と自身が良いと思えないものを書くことはやめよう。てか小説なんて書くのは金輪際やめようと思った。
とはいえ賞はもらっておきたい。せっかく掴みかけている栄光への欲は捨てきれない。
そんな矛盾した感情に、自分の底の浅さが知れた気持ちになった。
おれという男は、面倒臭いくらい青臭いくせに、呆れるくらい俗物だった。
おれが「あざと男子」となった日
第一回同様に、ヤフー文学賞の特設サイトが用意され、投票期間が過ぎていく。
ユーザーが選ぶ賞の方は早々に諦めた。ダントツにこれしかないという作品がひとつあったからだ。
おれが推敲する際に削っていったわかりやすい感動要素を、おれではできない技術でスマートに上手く残した万人受けする作品だった。これは勝てないと思った。
しかしヤフー文学賞にはもうひとつ賞がある。
審査員・阿部和重氏が選ぶ賞だ。
賞が持つ権威としてみた場合こちらの方が欲しかったし、他の候補作を見てもおれの作品が一番完成度が高いように思えた。
しかし、これも落ちた。
当時の阿部氏からの書評でここだけは覚えている一節がある。
「一見うまく書かれているが『あざとさ』を感じた」
ぐうの音もでなかった。さすがプロの作家だ。阿部氏の言う通りだ。完全に見抜かれていた。
やはりあのクセがすごそうな鋭い目は本物だった。プロはすごいと素直に思った。
「サイゴー君」はまさに、"あざとさ"にまみれた作品だった。
そして、それにふさわしい落選だ。
あの日、おれは勝負に負け、時代を先取りしすぎた「あざと男子」となった。
そして現在へ
あの落選の日を境に、おれはまっとうに働く一社会人になろうと決意した。
少なくとも、メシを食うための職業として作家をやることは、おれには無理だと悟った。
創作意欲のようなものはぷすぷす残っていたが、薄っぺらいおれという人間が小手先だけでつくりだした作品なんて、おれ自身でさえ見たくなかった。
で、紆余曲折したものの、今はいちおう社会人として、望んだ通りのまっとうな生活を送っている。家賃光熱費は自分で稼いだ賃金で払えている。
社会不適合要素あふれるおれにしては立派なもんだ。
最近ではサラリーマン生活も板につき余裕も生まれて、前々から興味のあった音楽制作をやり始めた。
誰かに良く思われるために作るのではなく、自分で良いと思う曲だけをニヤニヤしながら誠実に制作して発信している。
「あざと男子」となったあの日、おれはたぶんそこそこ大きなチャンスを失った。
その代わりになにかを得たってわけでもないが、おれの人生や考え方になんらかの変化をもたらしたのは間違いない。
それが良い変化だったと言い切る自信はまだないが、"あの日があって良かった"と思えることを目指して生きていきたい。
最後に余談だが、この文章を書いているうちに書く前にはなかったある欲望が湧きあがりつつある。
「もう一回、小説に挑戦してみようかな」
そんな欲望だ。