この丸メガネはミュージシャンなの?

音楽ブログを早々に諦め、ゆるめのサブカルブログへ男は舵をきった

痴漢かっけえ!になりかねない。すごいよ大江健三郎

特別お題「わたしの推し

チカンアカンのポスター

2022年、私の固定観念がひとつ崩されつつある。

2022年始まって早々に、とんでもない意識の変化が起きてしまった。
これがまたとんでもなくアクロバットな変化だ、もう革命だ。

その変革された意識がどんなものかというと、
「痴漢、超かっこいい!」
これだ。

これだ。じゃねえよ。
そう自分でも思っている。
格好つけようのないくらい格好悪い行為だ。

それでも格好いいと思ってしまったものはしょうがない。それは善悪とは異なる階層にあるただの"事実"だ。
今までジャンキーの詩人やミュージシャン、アル中の作家から北野映画登場のアウトローたちまで、社会的にやばい存在に格好いいと思ったことはあった。

しかし今回ばかりは、同じやばさでもベクトルが違う気がしてならない。
少なくとも今までおれが格好いい認定してきたものの中ではワーストで理解されないものになるだろう。

とにかく順を追って話そう。
なぜ私がこんなラリった価値観・痴漢観になったか、その経緯を。

すべてはノルウェイの森から始まった。

まずおれは、年末から年始にかけて読書に没頭するのが毎年恒例となっている。

今回読んでいたのは村上春樹の「ノルウェイの森だった。
晦日までに上巻を読み終え、正月明けに下巻を読んだ。
ここまでは順当に格好いいライフスタイルだ。

で、そのノルウェイの森の作中では、1960年代の若者を騒がせた音楽や文学がいくつも出てくるのだが、そこで出てきた一冊が大江健三郎の「性的人間」であった。

ノルウェイの森を読んだ後、おれはすぐ散歩にでも行くべきだった。

ハルキストちっくに
「僕は熱いコーヒーと卵だけのサンドウィッチの朝食をすませると、着古したセーターとブルージーンを履いて代々木公園へと向かった」
みたいに僕を気取って満足していればよかった。

しかしおれは外が寒いからという理由で散歩を諦め、性的人間をkindleで買い、そのままおこたで読み始めてしまった。

 

大江健三郎の性的人間

はじめての大江健三郎

説明する必要がないほど偉大な作家だが、文学ビギナーのために大江健三郎について簡単に話しておこう。

大江健三郎は、文壇にて大御所のレベルを越えて、もはや生き神様のレベルに達している言わずと知れた日本が誇る文豪だ。

『飼育』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』などなど……。
輝かしい受賞歴は多々あれど、中でも一番有名なのはやはりノーベル文学賞の受賞であろう。
村上春樹が受賞するか否かで毎度話題になり、実質的に世界的文豪認定証みたいな意味合いもある例の賞である。
大江健三郎は、川端康成以来の日本人で二人目のノーベル文学賞受賞者だ。

おれは今まで大江作品は未読だった。
もちろんその名の高さから手を伸ばそうとしたことは多々ある。

なにしろ先の通りノーベル文学賞受賞者の文章を母国語として読める作家は史上二名しかいないのだ。
あまりに貴重、というか日本人として読まなきゃもったいない気持ちになる。

ちなみに読みたいと思いつつ読んでない理由は一応あって、
おれが大好きな女流作家・綿矢りさのNo1作品、「かわいそうだね?」に対する大江健三郎からの批評を読んだとき、自分の意見とのあまりの相違に「なんじゃこのメガネ」と怒りを覚え、アレルギーになったという過去からだ。
※ちなみに「かわいそうだね?」は大江健三郎が選ぶ文学賞、その名も「大江健三郎賞」の受賞作なので、もちろんその批評も概ね称賛している内容である。
おれと健三郎先生との相違は、要するに深キョンの顔が好きかボディが好きかみたいな、好き同士の争いみたいなものである。

まあとにかく、ようやく読んでみた大江作品、中でも名作として名高い「性的人間」であったが、これがまあ超ド急の魔球にしておれにドストライクだった。

この作品は大きくふたつの章に分かれているのだが、そのうちの二章目がドンズバでおれに衝撃をもたらした。

性的人間ってこんな話

ざざっと二章目のあらすじを書くとこんな感じだ。

主人公のJ(同性愛欲も持ったりとクセ強気味のアラサー)と、痴漢仲間(一方が捕まったら一方が助ける相互協力の関係)である変態老紳士(政界の大人物のよう)が、電車内でバレバレの痴漢を行っている青年を逮捕ギリギリのところで助ける。

だが青年はお礼を言うどころか、なぜ自分を助けたのだと敵意を剥き出しにする。
話を聞いていくと、青年は痴漢をテーマにした嵐のような詩を紡ごうとする詩人志望だった。

Jと老紳士は自分たちも痴漢であることを打ち明け、その相互補助のコミュニティに青年を加えることにしたが……

 

とまあ、こんな風にして物語は始まっていく。この世界にはツッコミ担当なんて不在だ。全員マジだ。

仮にこのあらすじを書いたネタ帳が執筆前に盗まれたとして、誰が名作と呼ばれる作品に仕立てあげられるだろうか。
近所のシュールな童貞中学生が、塾での受験勉強に飽きた際にノートに走り書いたような内容だ。
しかし、さすがはノーベル文学賞作家。
とんでもない手腕で、この童貞走り書きを名作へと昇華させてしまう。

ちなみに、この作品の文学的評論については「人間存在の真実に迫る問題作」だなんだと、様々なメガネたちが難解な理屈でこねているので、今さらおれが語る余白なんて残っていない。

だからおれが言えることは、この作品のどこにおれが魅力を感じたかだ。

青年の訴える痴漢道。おれが狂ったのはやつのせいさ。

この作品の類稀な魅力、おれの芯を食った要素−−それは痴漢がテーマの詩を作ろうとする青年の、痴漢に対するポリシー、熱意、美学、言うなればその口で語られる「痴漢道」に尽きる。

てか書いてて思ったが、これが「漢道」ならシンプルにめちゃくちゃ格好いい。
なんていうか生き様、散り様の美学がありそうだ。
手前に「痴」がついただけで、ただ痴漢が出没する通学路みたいになるところに、「痴」の破壊力を思い知った。

まあとにかく、作中でこの詩人志望の青年が痴漢についてそれはもう熱く語る。
そして恐ろしいのは、こいつ何言ってんだ? としか思えなかった脳が、徐々に青年の痴漢道の熱量に感化されていくところにある。

今、自分でも相当おかしなことを熱く書き始めているのはわかる。
これはおれの筆力ではもう無理がある。
大江大先生に頼むしかない。

痴漢たち、この東京に数万人をかぞえながら、きわめて孤独しかない、心貧しくむなしく危険な熱情にみちた日常生活の闘牛士、厳粛きわまる綱渡り師たち……

人間たちは二千年来よってたかって、この世界を総ゴム張りの育児室につくりかえた。すべての危険は芽のうちにつんで! しかし痴漢たちは、この安全な育児室を猛獣のジャングルにかえることができる。

そして再びかれはこの不毛な綱渡りをはじめないではいられない。やがて、かれらが捕らえられ、かれの生涯が危機におちいり、それまでのにせの試みがすべて、真実の快楽の果実をみのらせるまで……

国会をとりまく十万人のデモンストレイションのなかで一人の痴漢がつかまった。かれが警官に告白した言葉、『いま十万人の怒れる政治的人間が、いまはその時期じゃないとして放棄している十万人ぶんの性的昂奮が、連中のなかでつまらない娘の尻をねらっているわたしひとりだけの特権的な指に集中してくるようで、わたしの指はもの凄い至福の熱に燃えあがりました。しかも、武装した第四機動隊の厖大なポリス群のまえで、それをやったんだから!』かれらは日々の厳粛な綱渡り師だ……

痴漢は猛獣狩のハンターとおなじだ。ライオンも犀もすっかりおとなしくて喉をグルグルいわせてすりよってくるような大草原なんかでは、たいていのハンターは退屈してノイローゼになるよ!


……いかがだろうか?
これを読んで、なにか身の内に熱い想いがたぎってこないだろうか?
「−−なんか格好いいかも」
そう思わないだろうか?

ここに描かれる厳粛たる想いは、求道者や殉教者のそれと同質の真摯さがあり、少なくとも笑い飛ばして良い類の想いでないことくらいは伝わるだろう。

最初読み始めたとき、おれにだってもちろん人並みの倫理観や良識、痴漢に対するくっきりとした嫌悪感、間抜け感は持っていた。
「こいつらずっと何いっとんねん」「いや何も痴漢でなくとも」「この熱量を他の何かに向けろよ青年」
といった月並みな言葉も頭にちらついていた。

しかし、気づくとおれは「こいつなんかめちゃくちゃ格好いいな…」と完全にこの青年、そして彼の持つ熱い信念の虜になっていたのだ。
青年のみならず、退廃的な主人公J、枯れ際の変態的花火を咲かせる老紳士もそれぞれ魅力的で危険な色気に溢れており、おれの固定観念を揺さぶるのに大きな役割を果たしていた。

性的人間を読了して思ったこと

ちなみに、この時期の大江健三郎「政治的人間と性的人間の二分法」を主題としていたようである。とはいえ、おれにそこまでの深読みはできていない。二分法の意味さえよくわかっていない。

今回読了しておれが思ったことは以下の内容である。

・どんな行為も確固たる信念を持つと格好いい(善悪とは別)。
ノーベル賞作家の筆力はバケモノ。
・おれはすぐ影響されやすい。

最後に一応、痴漢はあかんです。れっきとした犯罪です。
それにこんな言い方がどうかわからんけど、この作品を見るとお遊びとか生半可な興味で首を突っ込んでいい世界ではないです。青年にボコられますよ。

あと最後の最後に、もし万が一このブログの更新が突然止まっても、くれぐれも妙な推理はしないでください。
「あのメガネ、ブログに飽きたんだな」と、そう優しく思ってください。真実はそれです。

ではおやすみなさい。
それでもボクはやってない