今週のお題「復活してほしいもの」
2022年2月5日。私小説家・西村賢太の死去を伝えるニュースが流れた。
月並みな言い方だが、ただただ衝撃だった。呆然とした。
自分の人生に大きく影響を与えてくれた人物の死はきつい。
西村賢太は、おれが全著作をコンプリートした唯一の作家だ。
新作を常に楽しみに待っていた唯一の作家だ。
私小説というジャンルの無二の愉しさを教えてくれた作家であり、その魅力を知ってしまったことにより、一時期は私小説的要素のない作品を受けつけられないことさえあった。
ついでに言えば、恥ずかしながら聖地巡礼という馬鹿げた衝動に突き動かされ、なんとその自宅の前まで訪れてしまった唯一の作家でもある。
その死を伝えるニュースを見てからというもの、ここ一週間ずっと西村賢太作品を読み返している。
あまりに生々しく、におい立つように肉感的な、ひとりの男の人生が詰まった饒舌な文章を読むと、結句西村賢太の生は、これらの書籍がある限り永遠にあるのと同義だなと思わせてくれる。
同時に、この先、西村賢太の新作が読めないことはどうにも寂しくてしょうがないとも思ってしまう。
不謹慎な話ではあるが、タクシーの中で亡くなったその瞬間に至るまでの過程を、作品として書くとしたら、どのような内容になったのだろうと想像してしまう。
あの心地よい江戸前の筆捌きで、この世への最後の罵倒と呪詛を吐き捨て、ばっさりと幕を下ろす一文をワクワクして考えてしまう。
そして、それを絶対に読むことのできない現実が慊らなくてしょうがない。
それほどまでにおれは西村賢太の作品が好きであり、自分の中で特別な作家である。
あと考えてしまうのはやはり秋恵(西村賢太作品の主要人物となるかつての同棲相手)のことである。
彼女は、どこでどのような気持ちでこの訃報を聞いたのだろうか。
下世話な根性だが、やはり気になる。
合掌。