今週のお題「ホーム画面」
ホーム画面のバンクシー
スマホのホーム画面の背景はもう何年も変わっていない。
もう何年もずーっとガスマスクを着けたカップルの絵だ。
病める時も健やかなる時もいかがわしいコンテンツを検索する時も、おれのホーム画面はいつだってガスマスクだった。
最初に見たときに「うおー!」と衝撃を受けた絵で、今でも好きだからこそこの画像を設定し続けている。
ただ好きではあるのだが、この作品に対する思いはここ数年でなにげに複雑に変化もしている。
それはこの作品を描いたアーティストの知名度が近年爆上がりしたことによって起きてしまった、望まざる気持ちの変化だ。
そのアーティストの名は"バンクシー"。
謎に満ちた世界的なグラフィティアーティストだ。
バンクシーって何者?
まずはいちおうバンクシー(Banksy)とは何者かを説明すると、
イギリスを拠点とする素性不明のストリートグラフィティアーティスト。
世界各地の壁をキャンバスにして、政治・社会批評のテイストが強い皮肉味たっぷりのグラフィティをゲリラ的に描く。
てな感じの人だ。
バンクシーの作品はメッセージがわかりやすく、かつ毒のあるユーモアというか絶妙にひねりが効いていて、おまけにクールで格好よく、反逆的でありながらとてもキャッチーという特徴を持っている。
みんな大好きバンクシー
一般的に迷惑行為とされるグラフィティなのだが、バンクシーの作品は多くの人が怒りや悲しみを覚えている状況にNOを唱える、もしくは嘲笑うような作風なので、世間からは概ね好意的に受け取られている。
またバンクシークラスになると、その作品には億の価値が余裕でつくので、描かれた側は迷惑行為を受けた被害者であると同時に、世界的アートを棚ぼたで受け取った超絶ラッキー野郎とも言える。
実際に、バンクシーに作品を描かれたイギリスのとある民家は、資産価値が10何倍かにもなったらしい。
あー、もしおれがイギリスに住んでいたら、自分ちの壁に「Hey Banksy, Paint this place!!!!」って書いて余白を作っておくのになあ。
でもきっとバンクシーは来てくれなくて、そのメッセージを見た近所の中学生とかに「ち○こ by バンクシー」ってマジで迷惑なやつ描かれて、次の日泣きながら消すんだろうなあ。
ああ、やばい。眠さで頭がおかしくなってきて思わず脱線するとこだった。してた。
実は今週のお題「ホーム画面」でなんとなく書き出したはいいが、あまりテンションが上がらず今や眠さが勝ち出しているのだ。
「なんで書き出しちゃったんだろう」さっきからこの思いが脳を占めているんですよ。
もうここからはいつ投げ出そうか迷いながら続けます。
で、とにかくバンクシーの作品はアートであると共に思いっきり犯罪でもあるわけで、そのため素性は明かさないまま活動をしている。
なのでいまだに「バンクシーの正体は?」とか「偽バンクシー現る」だ「この壁に残された絵はバンクシーなのか?」とか、覆面アーティストならではの話題がのぼり、そのミステリアスさ故に人気に拍車がかかっている面も多分にある。
何年か前に、東京でもバンクシー疑惑の落書き騒動はあった。
驚くことに本物だったようだ。
流行のきっかけはサザビーズオークションのシュレッダー事件
で、日本でもアングラ層や洋楽好きにはもともと人気のあったバンクシーだったが、それが一般層にまで広まったのが、2018年のサザビーズオークションの事件だ。
『赤い風船に手を伸ばす少女』が約1億5千万円で落札された直後、額縁に仕掛けられたシュレッダーが作動して作品は切断された。
バンクシーはインスタグラムで成功の喜びと共に仕掛けを仕込む様子を動画で公開して、その後作品は「愛はごみ箱の中に」に改題された。
この事件はとにかく衝撃的で、おれの記憶ではこのニュースをきっかけにバンクシーの存在・作品はここ日本で爆発的に知名度を上げた。
もともと、作品もバンクシーの存在自体もキャッチーな要素がありまくりだったので、まあバンクシーの絵を使ったグッズが至る所で見られるようになった。
要するに流行った。
当時、電車内で女子大生が普通にバンクシーの話題でトークしていたときにはマジで驚いた。
ユニクロがTシャツに凝りだした頃に、バスキアのアートTを着てゴミ出しをする近所のおばちゃんを目撃した時以来の衝撃だった。
シュレッダーにかけられたおれの心のバンクシー
しかし、バンクシーしかりバスキアしかり、大衆が認知をして受け入れた瞬間にその反逆性・ロック度は、なんかこう熱を失うというか姿を変えるというか、とにかくどこか弱体化する。
ロックからポップスにジャンル変更するような気がするのだ。
--てか今おれは死ぬほど眠い頭で後悔しつつある。
早く寝ようぜ、ベッド気持ちいいぜ!と睡魔が叫んでいるのに、なんか小難しいことを書き始めてしまったからだ。
もし今が飲み屋で目の前にいる友達が「バンクシーしかりバスキアしかり…」と語り出したら「うるせえ!お会計!」と言い切る自信があるくらい眠い。
がんばれおれ。
とにかく世間がバンクシーを知ったことにより、おれの中のバンクシー像も変化をしてしまった。
上手いこと言うなら、おれの中のバンクシーがシュレッダーにかけられてしまったのだ。
同時に、かつて高円寺で買った様々なバンクシーTシャツやグッズも、身につけることに抵抗を覚えるようになった。
ファッションは自分自身のものであると共に、やはりどうしても他人の目があって初めて機能を果たすものでもあり、その他人の目から見てバンクシーは「ポップ」であり、もっと言えば「ミーハー」、もっと言えば「チープ」なものになってしまったからだ。
少なくともシュレッダー事件直後のバンクシーの作品は、間違いなくそんな存在だった。
あれから数年。いまだにおれはバンクシーのTシャツを着ることができず、それでもやっぱりバンクシーが好きで、人目のつかないスマホの中で秘かに健気に愛でている次第である。
ちなみにスマホの画像は、バンクシーがイギリスのバンドBlurのアルバム『Think Tank』のジャケット用に描き下ろしたやつです。(この時の販促ポスターもいまや数十万円らしい)
今日はもちろんもう寝ます。
ではでは、おやすみなさい。