今週のお題「人生変わった瞬間」
僕はヴィヴィアン・ウエストウッドのマフラーを買った
ヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)のマフラーを衝動買いした。
ヴィヴィアン・ウエストウッドの商品を買うのは人生であるかないかくらいのレアケースなので、自分でもびっくりだ。
※ちなみに今週のお題「人生変わった瞬間 今のわたしを作ったアレ」に最終的にたどりつく予定ではいます。今は。
なんで買わないかというと、びっくりするくらいヴィヴィアン・ウエストウッドの服を着ている人間が好きじゃないからだ。
なんていうか、まず男女問わずファッションパンクス(NANAのキャラクターみたいな連中)が大嫌いで、そいつらの最終到達点的ブランドのひとつがヴィヴィアン・ウエストウッドみたいなイメージがおれの中にある。
世間に中指を立てるようなファッションをしたパンクスに、横から中指を立てる文化系メガネがいる謎の構図は、ただただ世界の複雑さを表している。
ファストファッション全盛の時代で、ヴィヴィアンがゴスロリやパンクスに今どれだけ支持されているのか正直わかっていないが、それでも根付いた偏見はそう簡単に払拭されない。
とにかくおれの中で「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のことわざを、見事なまで文字通り示しているブランドが、ヴィヴィアン・ウエストウッドなのである。
僕はどん底にいった
そんなおれがヴィヴィアンのマフラーを買うことになったきっかけは尿意だった。
いや、きっかけを直前のものにしすぎた。
正式なきっかけは、友人Yと新宿の「どん底」というバーに飲みにいったことだ。
ただ「きっかけは尿意だった」という文章を生涯で書くことはもうないだろうなという無駄な希少価値を感じてしまったので、そのままにしておく。
先週、おれは友人Yと共に新宿三丁目の「どん底」に行った。
ここは1951年創業の超老舗バーで、かの三島由紀夫や黒沢明、おれの好きな詩人の金子光晴といった文化人にも愛された超有名店である。
いつか行きたいと年に2回くらい思ったりしていて、そのうちの1回が今回Yと会う日にちょうどぶつかったのだ。
雰囲気抜群の店内で名物「ドンカク(どん底カクテル)」と「ミックスピザ」を飲み食いしていると、「出没!アド街ック天国」の撮影クルーがとつぜん出没して店内を撮りたいとなり、そのぐだぐだな進行具合でどん底のマスターから叱られ(このマスターの叱り方は名店にふさわしいものだった)、そのピリつく雰囲気になんとなく追われるようにおれとYは店を後にした。
一文で書ききってしまったので理解できない方もいただろうが、おれはすでにお会計を済ませ店の外へいる。
寒空の下、「あのおごりがテレビを駄目にした」というYの名言が響いた。
僕はマルイに入った
どん底を予想以上に早く退店してしまった。
まだ夜は長い。
さて次はどこに行くか。と言う前に「尿意がすごい」とおれは言った。
「なんで店でしとかねえんだ」とYが舌打ちをした。
「たしかに」としか言いようがないが、軽い修羅場化したどん底にトイレを借りに戻ることは文字通りどん底だ。どういうことだ。
「まずはトイレだ」そう言って、おれ達は夜の新宿を歩き出した。
間もなくおれはマルイに入った。
目的は言うまでもない。
僕はヴィヴィアン・ウエストウッドを見つけた
マルイで用件を済ませ外へ出ようとしたその瞬間、あの惑星というか宇宙船みたいな例のオーブマークが目に入った。
そう、そこ(新宿マルイメン1Fフロア)にヴィヴィアン・ウエストウッドの売り場があったのだ。
普段であれば「けっ」くらいで素通りするのだが、どん底でしこたま酔ったせいか、おれは気づくと「ヌォーフューチャーフォーユゥー」とジョニー・ロットン調で鼻歌を歌っていた。
先の通り、ヴィヴィアン・ウエストウッドはファッションパンクス羨望のブランドであるのだが、それと同時に伝説的パンクバンド「Sex Pistols」を作り出した、由緒正しきパンクの生き証人的ブランドでもある。
40年以上にわたりパンクスのお手本となるルックス・生き様(21歳で死去、ベースの弾けないベーシスト)で知られるカリスマ、シド・ヴィシャス。
「パンクの概念そのもの」といっていい歌声を持つ、おれの崇める神々のひとりジョニー・ロットン。
彼らはたまり場としていた、もしくはスタッフとして働いていたヴィヴィアン・ウエストウッドの店をきっかけとして結成され、世界にパンクムーヴメントを起こした。
僕はセックス・ピストルズが好きだ
おれがピストルズを初めて聴いたとき、シドはとっくにあの世で、ジョニー・ロットンはぷっくり太って可愛くそして面白くなっていた。
しかしやっぱり走ったよ、電流は。
それまで聴いたことのない声で歌うジョニー・ロットンのシャウトは、なんていうかルールの先へ行っていた。
文豪にして伝説的パンク歌手の町田康がパンクの三大定義(うろ覚えだけど)は「技術の否定・伝統の否定・生き方の否定」みたいに書いてた気がする。
これまさにその通りだと思うと共に、現在の良識を否定した先には、圧倒的自由の肯定があり、ジョニー・ロットンの歌声はおれにとってまさにその自由を体現していた。
とにかくピストルズを聴くとおれはいまだに「なんでもありだぁ、自由だぁぁぁぁ」という開放感・無敵感に包まれてテンションがぶち上がるのである。
あの声はほんとすごい。
狭っ苦しい既成概念をばりっばりに破く声だ。
破いちまえっていう号令だ。
破いてオッケーっていう優しい許可だ。
そして僕はマフラーを買った
まあ悲しいことにこの自由な精神と社会性というのは相反するもので、日常を過ごしていくとこの感覚はあっという間に麻痺して消えていく。
"いつも心にピストルズを"
そんな理由で、おれはお守り代わりにヴィヴィアン・ウエストウッドのマフラーを買ったのである。
ちなみにヴィヴィアンのスタッフのお姉さんは、指輪を20個くらいつけた真っ白な髪のパンクスでしたが、とても社会性ある丁寧で優しい方でした。
ファッションパンクスって、いざ話すと良い人が多いんだよな。
そうなるとただただ好きだあぁぁ!
では今日はおやすみなさい。