この丸メガネはミュージシャンなの?

音楽ブログを早々に諦め、ゆるめのサブカルブログへ男は舵をきった

うれしくない。これからまた、ずうっとOASISといっしょにくらさない。

ノエル・ギャラガーとY

「俺たちは音楽で火をつけた。
ファンは俺たちの船に乗った。
彼らがあの気持ちを忘れることは決してないだろう。
俺たちと皆の間には何かが通じ、磁石のように惹きつけあった。
愛も、バイブスも、情熱も、怒りも、喜びも皆からもらった。
それがオアシスだ」
ノエル・ギャラガー

ツアーチケットの高騰、再結成の理由の考察、ドキュメンタリー映画の再上映、デビューアルバム「Definitely Maybe」が30年ぶりに英国音楽チャートで首位獲得……。
まるで90年代にタイムリープしたかのようにOASIS、そしてギャラガー兄弟の名前がニュースに踊っている。

そう、OASISまさかの再結成だ。

私の周りが特別そうなだけかもしれないけど、この一週間、友人知人と話す会話で何度話題にのぼったか。
みんな嬉しそうにオアシスオアシス、台風の話を挟んでまたオアシスだ。それもおっさんから若い女子まで多彩なメンツが口々に。

改めてOASISとは特別なバンドなんだなあと思う。

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新潮文庫の100冊から高校時代の私へこの5冊を

QUNTA(キュンタ)の画像

新潮文庫の100冊といえばキュンタ君

夏に小説を読みたくなる理由

夏になるとなぜか小説を読みたくなる。
これはおそらく学生時代の記憶によるものだ。

夏休み直前、書店に並ぶ「ナツイチ」や「新潮文庫の100冊」といったキャンペーンのポップ。きらきらした夏の日差しに照らされるその光景は、セミの鳴き声やプールの水音同様に、これから始まるロングバケーション無限の可能性を感じさせるシンボルだった。
その時の高揚感が脳に根強く残っており、今なお夏と読書が密接にリンクしているのだろう。

でも若者に小説は危険である

とはいえ小説は危険だ。
追体験の濃度が高く、思想的な影響を受けやすいからだ。
受けまくった奴が言うから間違いない。

映画やマンガもそれなりに好きだが、やはり小説はひと味違う。登場人物との距離感が他の媒体と比べて桁はずれに近い。一人称の小説なんて、いわば意識の垂れ流しなわけで、そんな特殊な表現方法を可能とするものは小説以外にない。

昔から読書は偉いという謎の風潮があり、現に私も学生時代に本を読んでいて教師から褒められた記憶があるが、まったくもってちゃんちゃらぴゃんぴゃんだ。
名作と呼ばれる文学作品のほとんどがアンチ良識、反社会性を秘めている。
粘土のように柔らかかった私の脳みそは、夏休みの間に未知の清濁に触れてぐねぐねとおかしな形へ変えられていった。

それは捉え方によっては「成長」ともいえるが、どちらかというと幼虫が成虫へ移行する「変態」に近い。まさに文字通りの変化を遂げた。

キュンタ君

苦役列車を読んでそのイノセントな顔ができたら君は本物
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夜のトキワ荘、手塚先生はまだ起きていました

今週のお題「となり街」

トキワ荘の入口

トキワ荘へようこそ

生きていくことは大変だ。ただそれだけで一大事だ。誰にだって眠れない夜がある。むろん私にもある。
そんな時、私は散歩へ出る

夜の南長崎通りを歩きに歩く。
街灯が照らす埃っぽいアスファルト。民家に光はあるものの不思議なくらい人の気配はない。猫さえいない。
自分以外の人間が誰もいない世界。だからこそ孤独感のないパラドックス
そんなことを考えながら黙々と歩く。

南長崎通り

夜の南長崎通り

散歩と徘徊の違いを知っているだろうか?
答えはこれ。最終的に家へ帰るのが散歩で、帰れずうろうろしてしまうのが徘徊である。
つまり私の人生は徘徊だ。

では旅行と放浪の違いは?
目的地があるのが旅行で、ないのが放浪である。高倉健の映画でたけしが言っていた。
つまり私の人生は放浪だ。

と、そんなダウナーなことを考えつつ、たけしのモノマネもしつつ、ひたすらに歩く。
眠れぬ夜のテンションなんてそんなものだ。

で、そうこうしているうちにそれは現れる。

――トキワ荘

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熟女ライスが捨てられない

熟女ライスの写真

今が食べ頃…

ブログを書きだして初めてかも知れない。こんな短い間隔で投稿することなんて。

はてなブログ今週のお題「捨てたい物」が、私の封印していたカルマを掘り起こしてしまったのだ。

捨てたい物――正確なニュアンスで言うと「どうしようもなく処分に困っている物」が我が家にひとつある。
キッチン下収納の最奥部に鎮座する熟女の影。
普段は脳内から消し去っているが、今週のお題のせいで久々に思い出してしまった。

それが『熟女ライス』だ。

熟女ライスの写真

久々に外界へ出てきた熟女ライス
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