この丸メガネはミュージシャンなの?

音楽ブログを早々に諦め、ゆるめのサブカルブログへ男は舵をきった

あんちゃん、おいらの映画がわかるのかい?

今週のお題「名作」

たけしのコマネチのシルエット

男が惚れる男よ

はてなブログおなじみの今週のお題は「名作」とのこと。

「何度読んでも最高なあの本」「初めて北野武の映画を見たら名作だった」「◯◯さんのあのブログが忘れられない」など、あなたの「名作」にまつわることを書いて投稿してください!

とのことだ。

映画、音楽、小説などアートに触れる機会が増える連休にぴったりのテーマである。

ちなみに私は名作に触れると「名作だあ」と声が出る謎の体質だ。
「痛っ!」とか「おいしい!」と変わらない条件反射で「名作だあ」とつぶやいてしまう可愛らしいところがある。

で、直近つぶやいたのは、恥ずかしながら自作のStrawberries On Snowという曲を超久々に聴いた一昨日だ。
歌詞のストーリー性、偏執的な押韻、ぎゅんぎゅんに切なキュートな詩歩嬢のボーカルに圧倒され「名作だあ」とつぶやいてしまった。
おめでたい自家発電野郎だ。

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まあそんな感じに、精度はともかく名作レーダーが搭載されている私だが、過去に「名作だあ」とつぶやいた作品がいくつあるかというと、そりゃもう星の数ほどある。

仮装大賞ばりに「ご〜かくだよ〜!」を脳内で欽ちゃんが乱発するので、とてもじゃないがここに書ききれない。

しかしそんな私も名作認定するとき、頭にとある疑念が浮かぶようになってきた。
「おれはこの作品を自身の審美眼で本当に名作だと判断できたのか?」という疑念だ。

特殊な感受性を持ち合わせてない私が名作認定する作品は、世間ですでに名作として市民権を得ているものがほとんどだ。
その評価に背中を押されて、おれは名作認定していないか? むしろ名作認定を前提に鑑賞してなかったか? とそんな疑念が常に湧くようになってしまった。

そのため最近は欽ちゃんが飛び出してきたあたりで、脳内で再検討して正式に名作認定をするという、面倒なフローを辿るようになった。
外から見たらメガネがフリーズして虚空を見つめているだけだが、実はそんな複雑な認定作業をしているのだ。

北野映画の到達点、ソナチネという踏み絵

冒頭に引用したはてなブログ編集部からの「初めて北野武の映画を見たら名作だった」が良い例だ。

北野映画を好きとのたまう連中は腐るほど会ってきた。しかしその中で、まっさらな状態で北野映画を観て評価できた人間が一体何人いるのだろうか?

むろん私も北野映画が大好きで、人におすすめを聞かれたら「結局ソナチネと答える一緒に飲みたくないタイプのメガネだが、初めて観たときに「結局ソナチネ」と自信を持って言えたかというとはなはだ怪しい。

私が初めて北野映画に触れたとき、彼はすでにベネチアで金獅子賞を獲り、日本が誇る「世界のキタノ」として揺るぎない名声を手にしていた。
さらに、北野映画を観ること、そして理解することが格好いいという風潮がサブカル界隈にはあった。

そして北野映画好きを名乗るにあたって理解しなきゃいけない代表的な作品がソナチネだった。
ソナチネは、座頭市からアウトレイジに至る近年のエンタメ寄りのたけしとはまるで魅力が異なる極北の映画だ。これによりたけしはヨーロッパでキタニストと呼ばれる熱狂的なファンを獲得した。
ソナチネを理解できないイコール「自分の感性が北野映画に追いついていない」という細川踏み絵的な面が確かにあった。

そんなカルチャーが色濃い中、早熟な同級生に勧められて、無垢な思春期の私はソナチネのDVDに手を伸ばしてしまった。もう終わりだ。
再生ボタンを押した直後から、私のゴールは「ソナチネ、名作だあ」に決まっていた
「なんか画面青くね?」と本来思っていたかもしれない彩度の低い映像も「これが噂に聞く北野ブルーか。実に美しい」と無理矢理に大感動だ。

まあとはいえ、あの日エンドロールを見終えた後、鑑賞前と少しだけ違う眼差しで世界が見えるようになったことも覚えている。

覚えているんだが、今日の私はもう眠いので強引にでも話をまとめてベッドに入りたい。
最後に、あの日の私に言いたいことは次の4つ。

・お前にはまだ早い。でも観たことは財産になっている。たぶん。
・自分の審美眼で名作を認定できるようには徐々になる。今のお前はソナチネとの比較材料を持ってなさすぎる。
・大人になってしっかりとわかるが、ソナチネはたしかに名作。
・あと、お前にソナチネを勧めてきた奴も大して理解してないよ。

以上だ。

ではでは、今日はおやすみなさい。