ジャックパーセルが売っていない
で、いつもの通り(今回で4回目の購入)でミッド丈のものをポチっといこうとしたら、どこのショップを見ても売り切れている。
コンバースの公式サイトを見ると、どうやら1年くらい前からミッドカットのジャックパーセルの販売は終了しているようだった。
※ローカットは余裕で販売中。ただおれは亜流のミッドがどうしても好きなのである。
で、おれは半狂乱になった。
ちょっと前まで当たり前のように買えて、しょっちゅうAmazonでもセールしていて、いつでも買えるから今度でいいやと思ってたらこの様だ。
恋と買い物はいつだってタイミング次第だ。
ジャックパーセルは過去3回購入したことがあるが、いずれも下駄箱の断捨離によりさよならをしてしまった。
なので、おれの下駄箱にジャックパーセルは今や一足もない。
ボロボロになったからさよならしました。
そう言い訳もできるが、やはりこれには量産型スニーカーに対する、おれの薄情な面が出てしまったところが大きい。
思い出があろうが、この靴にしかない傷があろうが、デッドストックだろうが、
ジャックパーセルはジャックパーセル。オールスターはオールスター。シンエヴァだろうが綾波レイは綾波レイ。
くらいに、ルックスどれも一緒じゃん、つまり全部同じじゃんとドライに軽んじていた。
その結果がこの様だ。
それでも諦めきれないおれはネットを徘徊した。
そしたら偶然、ABCマートのサイトでこんなコンテンツを見つけたのだ。
ABCマートのカート・コバーン記事
カート・コバーンはなぜJACK PURCELLを選んだのか。新たなスタイルを提示したグランジスターの肖像
「カート・コバーンはなぜJACK PURCELLを選んだのか」
ーーなんて魅惑的なタイトルなんだろう。
読んでから一日経った今、内容はほぼ覚えてなく、映画のLASTDAYSくらい絶妙にスカスカの中身だった印象だが、それでもカート・コバーンとジャックパーセルの繋がりを思い出させてくれただけで十分。
おれの購買欲はさらに燃え上がった。
この時点でこのコンテンツは成功している。惜しむらくはその商品がないことだ。
くくー。これを読んでおれは思った。
カート・コバーンを想いながら、ジャックパーセルを履き潰したいぜ、と。
グランジファッションといえばカート、カートといえばジャックパーセル
おれを含めてジャックパーセルを購入した人間の約30%は、カート・コバーン経由での流入だろうと予想してるくらい、
「ジャックパーセル=カート・コバーンのスニーカー」
はロックファンにとって当然の図式になっている。
ジャックパーセルを履いていて、ダメージジーンズを合わせている人がいたら、それだけで「カートが好きなのかな?」とおれは思う。
さらにボロボロのカーディガンを合わせていたら「絶対カート好きだな」だし、さらに昆虫みたいなサングラスを着けていたら「もうカート本人だな」と思う。
それくらいアイコン化されたスニーカーだ。
ちなみにカート・コバーンとは何者かというのを説明しておくと、
90年代の伝説的ロックバンドNIRVANAのボーカル・ギター。
1991年にリリースしたシングル「Smells Like Teen Spirit」で一躍メインストリームのトップに躍り出る。
その「Smells Like Teen Spirit」が収録されたアルバム「NEVERMIND」は全米1位のセールスを記録して、暗い・重い・激しいがキャッチフレーズのグランジという音楽ジャンルの大ブームを起こす。
音楽のみならず、ボロボロのジーンズ・ボロボロのネルシャツ ・ボロボロのカーディガン・そいでジャックパーセルを纏ったカート・コバーンの独特のファッションは、グランジファッションとして支持され、今なお根強い人気を誇る。
1993年にリリースしたアルバム「In Utero」でも当然のように1位を獲るものの、翌1994年4月に自らショットガンで頭をぶち抜き他界。享年27歳の若さだった。
遺書には「it’s better to burn out than to fade away.(くすぶって消えるより燃え尽きたい)」と書かれていた。
てな感じの破滅型ロックスターである。
音楽はとにかく格好いいし、ファッションもクール、でもって変な言い方だけどその最期がよく映えるルックスの美しさ、でその生き様、そして散り様。
10代の多感な時期に出会ったらこれほど響くロッカーもいないくらい、マンガ的なエピソード満載の今なお輝くカリスマ性を持ったミュージシャンである。
世界中の高校の卒アル文集で、歴代最も引用された言葉は「it’s better to burn out than to fade away.」じゃないかと勝手に思っているくらい、10代の青い陰鬱な衝動と親和性の高いアーティストである。
もちろんおれもめっためたにハマった。
カートに触発され、昨日までなんとなく欲しいくらいだったジャックパーセルが、今や超絶に欲しい神々しいアイテムになってしまっている。
思えばこんな気分になるのはいつ以来だろう。
再びのジャックパーセル×カート・コバーン記事へ
てわけで、これを書いてたら妙に興奮してきて、おれはブログをほっぽり出して再びABCマートの記事を読み返した。
なぜカート・コバーンがジャックパーセルを選んだかはやっぱりピンとこなかったが、それより最後の記事の執筆者に目がいった。
久保憲司氏というフォトグラファーだった。
プロフによるとロッキンオンにも関わっているみたいだし、言われてみれば見たことある気がする名前だった。
おれはロッキンオンとかの音楽評論のページは嫌いだったが
(経験者しか批評を許されないプロスポーツの世界、M-1の世界が正である。とりあえずこれが俺だという一作品を公開してからそれを手に掲げて音楽なり映画なり語れ。それは評論能力とは関係ない"フェア"な最低限の資格の話である。職業に貴賎なしとはいえ、音楽経験のない音楽評論家として飯を食うのは紛うことなき賎なり。という極右的思想)、
それでも写真やインタビューは大好きで、誌面を食い入るように繰り返し見たのを覚えている。
久保憲司氏はフォトグラファーとある。
たぶんおれはこの人の撮ったミュージシャンの写真を、めちゃくちゃに興奮しながら何度も眺めていたのだろう。
本当に久々に味わっていない感覚だ。
カートの記事で、久々にあのロッキンオンを夢中で読んでたときの青い興奮を思い出させてくれて、とにかくありがとうございます。
最後、脱線ついでに、音楽評論は嫌いだけど山崎洋一郎氏と粉川しのさんにはなぜか愛着を持っている。
特に粉川しのはOASISの記事を見るたび出てくるので、ノエル・リアム・粉川みたいな第三のOASIS状態である。
もうだめだ今日は眠い。いつも眠い。
ではでは、おやすみなさい。