この丸メガネはミュージシャンなの?

音楽ブログを早々に諦め、ゆるめのサブカルブログへ男は舵をきった

その動物を見てAは白い馬と、Bはいや黒い馬だよと言いました

今週のお題「祝日なのに……」

ピノコのアッチョンブリケ

アッチョンブリケですむ損感ならまだ良し

 

タイトルの馬の伏線は後々回収します。

 

はてなブログ
今週のお題は「祝日なのに……」です。

祝日が土曜日に重なってしまうと振替休日が発生せず、ちょっと損した気分になりませんか?

 

ちょっと待ってくれ。

知らなかったよ。
昨日の土曜日が、春分の日だなんて知らなかったよ。

損した気分になりませんか?


なったよ。
今なった。
知ったことにより、損した気分になった。


人間は不思議な生き物だ。
昨日が春分の日だと知らないままでいれば、おれは損した気分も味あわずにすんでいた。
知った前後で、おれの状況はなにひとつ変わっていないのにだ。

こういう時、記憶を消せるアプリがあったら便利だなと思う。

「ヒマでオーバーなメガネだな」
読者はそう思っただろう。
ヒマなのは当たっている。
だが決してオーバーではない。

春分の日からの幸福論

これ春分の日だからまだ「ちょっと損した気分」ですんでいるけど、状況が状況なら、人生観を左右するほどの事態になる。

最上級の例でいくと、
ふとやってみた競馬で三連単を的中させ概算1,000万円以上をゲットした直後、その当たり馬券をうっかりシュレッダーにかけてしまった、としたら。

発狂だ。
ブラックジャック先生に3億払って記憶を消してもらいたいくらいアッチョンブリケなトラウマになる。

「よく考えてみろ、馬券売り場に並んでいた時と、シュレッダーにかけた後で、財布の中身は何も変わってねえぞ。まあ飲め。飲んで忘れろ。飲んだらぜーんぶ夢」

そう肩をたたいてくるワンカップおじさんがいたら、殴りかねないくらいの「損した気分」だ。

とはいえ、おっさんの言ってることは間違っていない。
その通りだ。馬券を買う前後でおれの状況はなにひとつ変わっていない。

そして馬の話へいく

人生は捉え方次第で、いくらでも形を変える。
そして2021年現在、記憶を消すアプリはリリースされていないが、意識の持ち方次第で物事の捉え方を変えることはできる。

檻の中に入った動物を見て、Aは白い馬だと言いBは黒い馬と言ったという、友人のATSUSHIから聞いたどこかの国の小話を思い出した。

檻の中にいる動物がシマウマとわかっていながら「白い馬がいるね」と言える人は、幸福になれる才能を持っている人でしょう。

"檻のシマウマ
白でメシウマ
消すぜトラウマ
イェーイェーイェー"


あ、発狂したわけでなく、私はいちおうラッパーもやってるので。
ではでは。

あなたの卒業式の記憶を「金八先生」のものへ書き換えさせていただきました

今週のお題「〇〇からの卒業」

金八の人という字

GOLD8 a.k.a 金八

 

どうして春になると眠くなるの?

いきなりで恐縮だが眠い。
今日は休みで、外はぽかぽか日和で、暖かい風が吹いている。

しかし眠い。
緊急事態宣言でなければ、外に飛び出したいくらい眩しい日差しが部屋に入ってくる。

が、眠い。


とうとう春がきた。
春になると眠くてしょうがない。
頭も体も動かなくなる。

なぜ春はこんなに眠いのだろうか?

友人のATSUSHIによれば、地球全体の総エネルギー数はあらかた決まっていて、春になると植物や動物など動きださんとする者たちにエネルギーが寄るから、その分ぼくら弱者が割をくってガス欠状態になり眠くなるらしい。

つまり、本来おれがばりばり活動するためのエネルギーは、道に咲く草花やミツバチ、駅前で居酒屋の検索をかけている大学デビューのリア充たちに吸い取られているってことだ。

このエネルギー安定の法則が、ウソかホントか知らないが、確かめる力もないくらい眠い。


しかし眠い眠いといっているうちに休みが終わってしまう。
なんとか起きた証を残すため、あわよくば頭を活性化させるため、おれは久々にブログを書くことにした。

 

今週のお題が卒業だから卒業の思い出

のっけから恐縮だが、おれは卒業にそんなに思い入れがない。
いま学生時代の卒業を思い出そうとして頑張っているが、"無"といっていいほど思い出せない。

そうこうして記憶のプールをもがいているうちに、少しづつ卒業の日っぽい絵が浮かび出したのだが、教室で一緒に泣いているのがなぜか濱田岳だった。

濱田岳と同級生だったはずはないのだがと思っていたら、教壇に立っているのが武田鉄矢で、「なんだ金八の卒業シーンか」とようやく気づいた。

眠さで頭がにぶくなっている。
でもよく考えたら、眠さ以外にも金八が現れた要因はある。

なぜなら実体験の学校卒業は小中高大それぞれで一回づつしか行われないにもかかわらず、金八先生の桜中学校卒業式は再放送を通じて、シリーズ合計で10回くらい体験している。
ナチュラルに記憶が上書きされまくっているのも無理はない。

これは金八を観ていた人にはわりと起きがちなフラッシュバックなのではないか。

金八の思い出

↑の題を自分で書いてびっくりした。
もう卒業とかじゃなく「金八の思い出」になってしまった。

悲しいかな自分の学生時代のリアルな思い出より、木曜ドラマ・3年B組金八先生の思い出と生徒の顔のほうがスラスラ出てくるのでしょうがない。

シリーズ最高傑作と言われるガラスの少年・兼末健次郎

「今日からきみはTomorrowだ」のルー語のような名言が印象的な、
時代を先取りした性同一性障害の難役をこなした上戸彩演ずる鶴本直

その他、ミッチー、シュウ、ヒルマン、車掌の真似をする奴、乾先生。
誰も彼も、実体験のクラスメートより、むしろ記憶に残っているくらいだ。
おれの実家の卒業アルバムに乾先生がしれっと載っていても、違和感に気付ける自信がない。

もちろん卒業の歌といえば、レミオロメンの「3月9日」でも、「旅立ちの日」にでもなく、「贈る言葉」だ。

ただこれだけ言っておいて恐縮だが、おれは特段、金八というドラマが好きなわけではない。
では、なぜ観ていたのか?

惰性だ。

 

いや愛だ。

眠いとなにを言い出すかわからない。

 

もう今日はおやすみなさい。

もしもあの女子大生がエレキギターだったら

はてなブログ今週のお題「雛祭り」とのこと。
このテーマが、ジェンダー問題の過熱するこのタイミングでくるのは皮肉な話だなと、私は思った。

ギター女子のイメージ画像

ギターと女子の類似性について

女の子の節句であるひな祭りが今年もくる。
が、こんな「男の○○」「女の○○」なテーマにうかつに触れるのもビクつくほど、いたるところで性差問題が大炎上している。
日本の歴史上においても、ここまで女子について語りづらい時代はなかっただろう。

SNSなどメディアの先には、常に1000万人の伊藤野枝が目を光らせていると思っていい。
ちなみにおれは伊藤野枝が好きだ。でも辻潤はもっと好きだ。脱線の雰囲気がすごいからここはもう広げない。

てか女子についてに限らず、あらゆる事象で軽はずみなことが言えないこの時代はすごい。選択をひとつでも間違えたら、もう元の場所へは戻れない。

自分自身を含めて、大衆のモラル、NGルールは一瞬で更新されるんだなと思う。
昨日のセーフが、今日は当然のようにアウトで明日はゲッツーだ。

大衆モラルは実体を持たないまま変化を続ける怪物であり、要するにギターと女子は似ている。

 



は?

と思った方が正しい。

さすがに無理があった。
ちょっと色々あって、無理やり方向転換をしてみたのだが、無理なものは無理だった。
とりあえず、今の状況はこうだ。

まず今回嬉々として書こうと思っていた『ギターと女子の類似性について』というテーマがあった。

しかしこのテーマと時勢が合っていない気がしたのでいったんやめた。

今週のお題が「雛祭り」だった。

書き出してみたものの筆が進まないのし、自ら問うたジェンダー話に触発されて、『ギターと女子の類似性』がやっぱり書きたくなった。

ジェンダー論にかこつけて、気づかれぬように話題を転換して、しれっと話を進めていこうと企んだ。

失敗。
という流れだ。

ロックだヒップホップだ言うわりには姑息なメガネだ。

ただ、今の急激な方向転換は、さすがに自分で無理があると気づくレベルだったので、早めに謝っておいて、もうここからは開き直って書こうと思う。

ギターと女子との類似ポイントについて

ではギターと女子のどこが似ているのか。
これは単純にボディーのシェイプ、つまり姿形のシルエットだ。

コカ・コーラの瓶が女性のくびれ感あるボディをデザインソースにしていることは有名だが、ギターもまたデザインソースは女性だと確信できるほど、美しい曲線美を描いている。
クラシックギターはもちろん、エレキギターでも特に名器レス・ポールなんてその傾向が顕著だ。

ただ、今しがた自信満々で調べてみたら、女性のボディラインとの関係性は特にないらしく、元々がひょうたんを使った楽器がルーツだから、デザインソースもひょうたんらしい。
数行前の "確信できる" が一瞬で権威をなくした。

つまり、ひょうたんと女性は似ている。

いや違う。
そんなことが言いたかったんじゃない。

ギターが女子ならこんなイメージ

で、ここから先は、ただただ私がかねてから抱いていたそれぞれのギターへの感想・イメージというか妄想というか偏見にしかすぎない。

ギターは俺の女と言ったBBキングに言ったとて、クレイジーと返されるだけのやつです。

テレキャスター(ブランド:Fender

f:id:dada9:20210223230745p:plain

黒髪、長すぎず短すぎずな髪型の女子大生。
スカートはあまり穿かず、淡い色のジーンズを好む。
足元は基本的にコンバースのオールスター。

目立つタイプではないけれど、よく見ると整った顔をしていて、隠れファンは多い。
素朴でナチュラルな人柄で、陰キャ野郎でもあまり緊張せずに話せる。

基本的には素直で優しい子なのだが、飲み会でたまに乱れて毒舌を吐く。

ストラトキャスター(ブランド:Fender

ストラトキャスター


テレキャスターより、ややフェミニンな雰囲気の女子大生。

ねえストラトテレキャスって結構ルックス似てるよね、と友達にちょくちょく言われるが、ストラト側はあまり良い気分はしていない。が、表面上は喜んでみせる。

ジーンズは脚が太く見える気がするのであまり履かず、スカート率が高い。
大体の時間は友達と談笑しているか、スマホをいじっているかで、孤独に虚空を見つめることのないタイプ。
よく友達の付き合いで合コンに行き、無難さゆえに結構モテる。

その後、ふたりきりで会ったりもするが、3回目くらいから徐々に熱が冷め始め、相手の男の短所ばかり目につくようになり、けっきょく自然消滅をたどる。

レス・ポール(ブランド:Gibson

レスポール

某有名国立大に通う、頭脳明晰かつ容姿端麗な女子大生。
気取りすぎないカジュアルなボーダーの服装を好むが、それは決してユニクロでもGUでも無印でもなくA.P.C.

ピアスや指輪、アンクレットなど、ちょっと尖ったスパイシーな高級アクセサリーをワンポイントで巧みに使う。
スマホはさらりとiPhoneの上位スペック。

現在は語学(韓国語とドイツ語)の勉強にはまっている。
もちろんカナダに留学経験あり。
ホストファミリーと一緒に白Tシャツでうつる写真では、日本では見せないくらいキラキラした笑顔である。

SG(ブランド:Gibson

レスポールSG


レス・ポールの実の妹。

優等生なお姉ちゃんに比べて、学業は劣るものの遊び上手で友達も多い。
友達はパンクな感じに弾けちゃっている奴が多い。
とはいえ姉が優等生すぎるだけで、SGもその言動や所作の随所に家柄の良さを感じさせる要素を持ち、なにげに偏差値の高い私立校に通っている。

一見、フランクそうに見えるが、実はかなりの末っ子気質で人見知りでもある。
ただその分、心を許した人間には無防備に甘えてくる。

が、それでも干渉されるのは嫌いで、例えばコンビニに行こうとドクターマーチンを玄関で履きかけたときに「どこ行くの?」と聞かれるだけで、結構イラっとする。

すごく嫌なことがあったときだけタバコを買うが、二本くらい吸って、残りは結局捨てる。

RG(ブランド:Ibanez

アイバニーズのギター


パッと見、結構派手というかビッチ気味の女子大生。
髪色が頻繁に変わり今は過去最高に明るい。クラブ好きで友達も似たタイプが多い。
メイクののりが気に入らないと学校を休む。
クラブで酒を飲んでも、実はそこまで酔っ払えない。

パッと見の印象にたがわず異性との経験は豊富だが、パッと見の印象にたがわず短期間で別れやすい。

茨城に住む3つ上の姉にはすでに二人の小さな子供がいて、正月などに会うと、かわいいと思いながらもどう接したらよいかわからないので、スマホを取り出す。

ホワイトファルコン(ブランド:Gretsch

ホワイトファルコン

2020年代では逆に珍しい、豪華主義の高級路線を突き進む名門女子大の大学生。

車に乗らない男が増えた今だからこそ、ステータスシンボルとしての車に強いこだわりを持ち、ふわふわの座席にしか座らない。
ただ、高い車だから良いというわけでなく、GT-RNSXなどスポーツカー的なやつは子供っぽく見えて苦手で、かといってベンツやポルシェのようないかにも成金趣味な車も田舎っぽくて嫌いで、なんだかんだでレクサス最強説を唱える。

冬になると白いふわふわの何かを身にまとう。
通学中はAirPodsを耳につけっぱなし。

PRS SE(ブランド:Paul Reed Smith)

ポールリードスミス


どこかミステリアスで芸術肌な雰囲気のある女子大生。
意外にも将来設計はわりと堅実的。

無表情気味で、男子はおろか女子ともなかなか打ち解けないが、一度話が合うとわかると、映画(実はSF好き)やら小説(純文学)の話を嬉しそうに長時間話す。
感想が感覚的かというとそういうわけでもなく、ロジカルに作品の魅力について語ることができる。
興味がない作品を話題に出されると、あからさまに表情が消える。



ーーさすがにもう疲れてきたし、シルエットも限界があるので、さくっといこう。

パシフィカ(ブランド:YAMAHA

結構なインドア派。ゆえに部屋着にこだわる。たまに外へ出ると靴擦れを起こす。白いソックスが好き。汚れるとすぐ捨てるが、ゴミ袋に入れる時にちゃんと手を合わせる。

結論:私は妄想メガネでした。

やー、今回はやたら疲れた。

ストラトキャスターあたりから感じだした、なにしてるんだろうおれ感は、久々に徒労感を覚えるものだった。

ちなみに私は、一度に複数のギターを所有したことがない。
さらに言うと、ギターを買い換えるにあたり、妙な罪悪感とやましさを感じて、半年くらい葛藤して悶絶する。
そんな自分をなにげに誠実だなとも思うし、ただただ不思議なメガネだなとも思う。

最後に春と夜にぴったりのガツンとくる歌のレコメンドをしておきます。
私が作った珍しく美しい曲をシャイニングスターの詩歩嬢が歌ったものです。

ではおやすみなさい。

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約束のネバーランドって「鬼」より「ママ」だよね

今週のお題「鬼」

「鬼を倒すあのマンガ」ってなに?

 

鬼滅の刃のチェック


はてなブログがいつも提供してくれる「今週のお題」は、ブログのテーマを考えるのが面倒なゆえにブログの更新頻度が落ちるという体質のおれにとって、とてもありがたい企画だ。

というか、体質に合わないのに、なぜおれはブログを書いているのだろう?

文章を書くことが好きなわけでないし、コツコツ積み重ね型の作業が好きなわけでもない。
で、有意義な知識を持ち合わせているわけでもない。
さらに現状では特に広告なども貼っておらずなんの収入源にもなっていない。

"なぜブログを書いているのかわからない"ブログに書いている今、大いなるパラドックスが脳内を侵食しだしたので、テーマに戻ろう。

今週のテーマは「鬼」らしい。
ちなみに、いつも今週のお題を書くときは、お題に答えられる何らかのアイデアが浮かんだときだが、今回はなにも浮かんでいない。

ここから先なにを書くのか、どのように締めるつもりなのか。がんばれメガネ。

 あっという間に2月がやって来ました。なんと124年ぶりとなる2月2日の節分にちなんで、今週は「鬼」をテーマに皆さんのエントリーを募集します。「仕事の鬼」「節分の思い出」「幼い頃に見た妖怪」「我が家の鬼瓦」「鬼を倒すあのマンガ」など、「鬼」にまつわるブログを書いてみませんか? ご応募をお待ちしております。


 書くことがなさすぎて、とりあえず今月のお題のお題たるゆえんを引用してみた。


やはり気になるのは「鬼を倒すあのマンガ」の部分だ。

もはや答えは例のあれしかないようなイージー問題だ。

とはいえここで、例のあれである鬼滅の刃について語り出すのは、なんかこう出題者の手のひらの上で踊らされているようで、素直に書きだせないとこがある。

とはいえここで、地獄先生ぬ〜べ〜を出すのも、なにか違う気がする。
なにかどころじゃなく、絶対に違う気がする。

旬を読むならば、映画化もされた約束のネバーランドだろう。
けっこう自分でもいい線をついたと思うダークホースだ。


約束のネバーランドとは

約束のネバーランドのあらすじ

小さな孤児院グレイス=フィールドハウス。
ママと慕う彼女は親ではない。
そして一緒に暮らす彼らも実の兄弟ではない。

平穏なこのハウスでささやかながらも幸せな毎日を送るエマ、ノーマン、レイ。
しかし、彼らの日常はある日突然終わりを告げた。
子供達を待つ数奇な運命とは。
運命の刻は来た。脱獄ファンタジー

という感じの、具体的に要約するには壮大すぎるファンタジーだ。
むろん立ち向かうべき相手として、鬼がばっちり出てくる。
 


愛すべきママの裏の顔を知った衝撃は、鬼の比じゃない。

ただ鬼は出てくるのだが、正直言って約束のネバーランド鬼のイメージが薄い

なぜなら、1巻で知るママの裏の顔(実は鬼の食用にするため、子供たちを育て出荷していた)を知ったときの衝撃が凄すぎるからだ。

疑いもしなかった身内が、まったく別の顔を持っていたときの衝撃。

このホラー具合は大人になった今だからこそ、真の恐怖と衝撃をじっくり味わうことができる。
少年ジャンプ本来の読者の少年には、もったいないほどの深く濃厚な闇だ。

おれは最初の子供出荷シーンでママの裏の顔を知ったとき、あまりにショックすぎて思わず本を一度閉じて1ページ目から読み返すほどにあまりのショックを受けた。
こんな感じに行動と日本語がおかしくなるほど混乱を伴う衝撃だった。

おそらく原作の白井カイウの想定を超えるほど、ママの裏の顔は人々にトラウマを植えつけた。

そして、それを見た後だと、もう鬼ごときでは驚けない。

鬼なんてどうでもいい。とにかくママのいないネバーランドは物足りない

これはおれだけかもしれないが、ママの手から逃れてGFハウスを出た瞬間に、あの漫画は熱量をがくっと失う。いろいろ反対意見はあると思うが、少なくともおれは失った。

鬼なんてどうでもいい。約束なんて破っちまえ。とにかくママが恋しくてしょうがない

そしておれは1巻へと戻ることを決意して、必然的にせっかく逃げられたはずのエマたちもハウスへ戻ることとなり、再びママからの脱走劇を繰り広げることとなった。

あれ以来、なんどママからの脱走を繰り返しただろう。
ようやく逃げきった瞬間に、おれの手によってエマたちはまたハウスへと戻されるという、悪夢のループが起きている。
ある意味、鬼はおれだ。


とにかく以上の理由から、おれにとって約束のネバーランドといえば、「鬼」ではなく「ママ」なのだ。


「鬼ではなくママなのだ」というバカボンのパパ的なセリフでブログを締めるとは、書き出したときには、まったく想像もしていなかった。

だから人生はおもしろい。
では、おやすみなさい。