やりたいこともやらなきゃいけないことも沢山あるのに、そのひとつひとつが本格的に手をつけ出すとそこそこの労力を伴うもので、どれからやろうかと迷っているうちに気づくとprime videoを開いている。
30分くらいドキュメンタルを観て、ふと我にかえる。
「のんびり観てる場合じゃないよおいおいおい」
気合を入れ直すために冷たいシャワーを浴びて、顔を叩いてデスクに向かう。
30分後、YouTubeの子猫動画が途切れたタイミングで我にかえる。
「--うそだろ?」
黙れ、現実だ。
こんな調子の日が続く。
なにがどうして子猫動画にいったのか覚えてないほど無意識にスマホを手に取り、無自覚に時間を浪費している。
点描法の絵のように我にかえり、失った時間を嘆くことしかできない。
超ショート仕様の玉手箱を何回も開けてる気分だ。
そして気づくとまた竜宮城だ。
愚かだよ。人は愚かだよ。
って詠嘆している間も、油断すれば手にスマホが握られている。
もうなんなの、この悪魔的ガジェット。中世ヨーロッパなら火あぶりもんだよ。
で、気づけばおねむの時間だ。
こんな時、私はブログを書く。
なんていうか、今日を生きた爪痕をちょっとでも残したいから書くのだ。
今週のお題は手帳
「今週のお題」は「手帳」だった。
よし、おれの相棒・トラベラーズノートについて書こう!
と思ってから驚いた。
つい最近、同じお題を書いた気がしたからだ。
これはデジャブか、それともタイムリープが起きているのかと動揺しながら過去記事を見返したらやっぱりあった。
まあそんなに最近ではなかったが、とりあえず記憶が正しくて良かった。
もうこれ以上、自分を疑いたくない。
ただ記憶が正しいのは良かったが、今度は書く内容がなくなった。
弱ったおれは、まだ未開封のとある手帳を取り出した。
それが冒頭の写真、モレスキンの手帳だ。
はてなブログからもらったモレスキンの手帳
この手帳は、以前このブログがはてなブログ賞をいただいた時に、副賞として送られてきた記念品のうちのひとつである。
これを開けてない理由はふたつあって、
まずはシンプルに記念品だから記念にとっておこうというものである。
私も感情を持ったメガネなので、褒められると普通に嬉しいのである。
もうひとつの理由は、
このノートがモレスキン製だったからである。
モレスキン(Moleskine)とは
撥水加工の施された黒く硬い丈夫な表紙とゴムバンドが特徴的な、モレスキン社が販売する手帳のブランド。
ピカソ、ゴッホ、ヘミングウェイ、ブルース・チャトウィンなどの20世紀を代表する芸術家や文豪に愛されたモレスキンは、その歴史から伝説的ノートブックといわれる。
実は現在のモレスキンの手帳は、いちど生産終了となったものをイタリアの出版社が復刻させたものである。
で、この出版社がまたやり手で「製品には“物語”があることが重要だ」というポリシーを掲げて、上記の巨匠達の名前をゴリ押し中のアイドルユニットみたいに何かといえば出すんですよ。
この戦略は大成功で、他に大したプロモーションをしていないにもかかわらず、今やモレスキンはワンランク上のノートの代名詞的存在である。
ただ、このピカソ、ゴッホ、ヘミングウェイの名前に圧倒されて(チャトウィンさんはわからない)逆に使用できなくなるメガネもいる。
それが私である。
以前にもここで書いたが、集中力散漫で快楽的刹那主義のおれは、ノートを手にすると大人とは思えない頻度とクオリティで落書きをしてしまう。
この悪癖がモレスキン、というか巨匠達に対する冒涜のように思えて、モレスキンのノートを開くことができないのである。
この絵をピカソに見せられるか?
「どういうことかなな」という謎のポエムをヘミングウェイに読ませられるか?
そういうことなのである。
落書きしない。ついでに動画は見ない。やることはやる。
それができたあかつきに、おれはモレスキンを使うことができるのであろう。
とにかく今日は反省の一日だった。
明日からはとにかく自制だ自制。
強制的にスタイル修正。理性で規制をかける人生。
あーい。
ではでは、おやすみなさい。