この丸メガネはミュージシャンなの?

音楽ブログを早々に諦め、ゆるめのサブカルブログへ男は舵をきった

僕の上半期はこの絵にすべて詰まってます

今週のお題「上半期ふりかえり」

はてなブログ今週のお題は「上半期ふりかえり」とのこと。

なんていうか、このテーマはとてもありがたい。
刹那主義でめったに過去を振り返らないおれが、すでに過ぎ去りし日々のことを整理し客観視し省みてみようと考えるきっかけになった。

おれはさっそく上半期の総括を文字に書き出すべくノートを広げた。

ただ自分は考えるより先に手が出るやんちゃなメガネだ。
その言葉通り、今回も思考とは別に手が無意識に動いていた。

そして総括が文字になるより先に出来上がったのが、この謎のマスクマンだ。

絶望のマスクマン

やあ

上半期の総括に突然乱入してきたマスクマン。
この絵を10秒しっかりと見てほしい。
ちゃんと彼と目を合わせて見てほしい。

 

――虚無
なんという絶望的な虚無さだろうか。
悲しみが匂い立っている。
絵は文字より正直なのかもしれない。
これはまさに、おれの上半期の心象風景そのものだ。

青の時代と呼ばれる、美しいブルーで彩られた深い悲しみの絵画を描いたあの頃のパブロ・ピカソを彷彿とさせる悲哀感

「悲しい絵だねえ。特に口元が悲しいねえ」
ピカソが見たら、きっとそうほほ笑んで固い握手をしてくれるだろう。

悲しい口元

それくらいこの絵は直近の絶望感をストレートに体現している。
上半期というか、特にズーンとなったのが直近の数週間。人生でもワーストに近いのではないだろうか。

不幸なことが立て続けに起こったというより、落語の「芝浜」の前半系の絶望が連続して起こった感じだ。
「ちなみに芝浜とはぁ」と説明したいとこだが、そんな優しささえ今は芽生えない。自身に余裕があってこその優しさだ。気になる人はChatGPTにでも聞いてほしい。
「魚屋が大金を拾ったけど夢でした」みたいなことを答えてくれるはずだ。

これ系のズーンが連続するとかなりこたえる。アップダウンは平地の倍きつい。なんていうか、あらゆる場面で立ち上がる気力が薄れるのだ。

『いや、幸せは掴むものじゃない。気づくものだ』
そんな知人に聞いた言葉を思い出し「エアリズムって時代が時代なら貴族しか着られない着心地よなあ」と無理やり等身大の幸せを見つけてはみるが、焼け石に水だ。

まあとにかくそんな絶望状態の沼から現れたのが冒頭のマスクマンである。

しかしここ数十分、マスクマンと対峙するうちに、ある不思議な現象が起きてきた。
そう、かのピカソが悲しいと評したであろうマスクマンの口元が、優しく笑っているように見えてきたのだ。
信じてもらえないかもしれないが、おれはなんの薬もキメてない。

とにかくそう見えたんだから仕方ない。そして見えると同時に、脳内が少しクリアになった。
「そもそもこんな絵を描いてる奴が絶望とか言ってんじゃねえ」という、これを読んだ方全員が抱いたであろう思いに共感できるくらいの客観性は取り戻した。

なんとか立ち上がれそうだ。
ノートを広げたのは正解だったようだ。
言葉ではなく、落書きで心を整理できるとは予想もしていなかったが、なんとなく気持ちが仕切り直されていくのを感じる。

まだ上を向けなくていい。下を向きながらだって歩くことはできる。
そうだよな、マスクマン。
とりあえず歩いてみるよ。

絶望マスクマン

ありがとう

ちなみに「芝浜」の後半は「それから魚屋は真面目に働きました。そして3年後の大晦日、実は――」となる。

ではでは。