この丸メガネはミュージシャンなの?

音楽ブログを早々に諦め、ゆるめのサブカルブログへ男は舵をきった

タイで爆笑をとるたった1つの方法

今週のお題「やったことがあるアルバイト」

タイの仏像

微笑みの国を爆笑の国へ

派遣で行ったタイ人マダムが集う謎の工場

かなり前にはなるが、いくつかの派遣会社に登録して、様々な現場に行く派遣アルバイトとして働いていた時期があった。

色々と問題が取り沙汰される業界だが、単発・短期系の派遣バイトは生来飽きっぽいおれの性格に結構合っていた。

休みを自由に決められるし、何よりいくつもの職場に行って様々な環境、ひいてはそこにある人間模様、人生を垣間見れるのがおもしろかった。

派遣先は主に工場が多かったが、どこに行ってもデキるやつとそれなりのやつとイカれたやつがうまいこと分配されている構図は、俗に言う「343(サシミ)の法則」の不思議さを実体験で思い知らせてくれた。

で、今回の話は、そんな派遣バイト生活の中で1ヶ月ほど勤務することになった工場での思い出だ。

たしか埼玉県にある何かを製造している工場で、大部屋の中で理科室にあるようなスチール製の作業机を10人ほどで囲み、何か細かいものを手元でこちょこちょ組み立てる、内職的な仕事かなんかだった覚えがある。

"何か" がやけに多くて申し訳ない。
工場を出たときに違法なやり方で記憶を削除されたのではと思うほど、工場の場所も作業していた内容もぼんやりとしか思い出せないのだ。

ただひとつ鮮明に覚えていることは、おれの作業机のメンバーが、なぜかおれ以外全員タイ人のマダムだったということだ。

さすがは微笑みの国・タイのマダムの温かさ

そのマダムたちは、おれが派遣されてくる時よりずっと前からその工場で働いているようで、ぺちゃくちゃ駄弁りながらも職人的手つきで一連の作業をスピーディーにこなすエリートチームだった。

大部屋の中には全部で20くらいの島があったが、他チームは死んだ魚のような目をしながら黙々と作業をしており、この笑顔の絶えない南国チームは明らかに場から浮いていた。

おれは彼女たちに仕事を教わることになり、そこでタイ国民の根源的な優しさを実感した。

不器用なおれが作業をしくじる度に、「ダメダヨー」とクスクス笑いながら肩を叩かれ、そのクスクスは周囲のマダムにも伝染して、なんとも心地よい空間が形成されていく。
こんなに温かい「ダメダヨー」なら朝のアラームにしてもいいくらいだ。

もしこれが逆に10人の日本人の中に、言葉の喋れない異国の陰キャなぶきっちょメガネが1人混ざった状態なら、絶対にこんなハートウォーミングな空気にはならないだろう。
クスクスどころか舌打ちがきてもおかしくない。

「さすがは微笑みの国だな」
おれはその国民性に感嘆しつつ、次第にタイへの移住を夢想しつつ、マダムたちとの親睦を深めていった。

「コップンカー」の破壊力

そんなある日、事件は起きた。

休憩時間になると、マダムたちは休憩室で円を描いて座り、日本では見たことのない甘そうなお菓子を机に並べて談笑を始める。

この工場では作業のチーム編成がそのまま日常のコミュニティ化するらしく、必然的におれも、"喋れないけど笑顔でそばにいる"という、日本伝統のお地蔵さんモードとなり、休憩の場を共にした。

どこの国でも地蔵はお供物をもらえる存在のようだ。
マダムたちもその甘そうなお菓子を「タベナヨーウマイヨー」と、おれの目前にぽいぽい積んでくれた。

感謝の気持ちを伝えたくなったおれは、唯一知っているタイ語である「コップンカー(ありがとう)」を、キリッとした侍の顔で合掌と共に返した。

次の瞬間、起きたのだ。
大爆笑が。

コップンカー芸人の誕生

おれはものは試しで、もう一回「コップンカー」と言ってみた。

またしても大爆笑。
なんと笑いすぎて涙を流す者や、机をバンバン叩きだす者まで現れた。

チャップリン映画を初めて観た戦後の日本人のような、嘘みたいなバカウケが取れている。

これは海を渡ればコップンカー芸人として金になるんじゃないか。

おれは決意した。
行こう、微笑みの国へ。

微笑みの国を爆笑の国へと変えてやるのだ。

なぜ「コップンカー」で爆笑がとれるのか

しかし大きな謎が残る。
そう、なんでここまでウケているのか、その理由が全然わからないのだ。

おれは隣で過呼吸寸前になっているマダムに、いったい自分の何が面白いのかを聞いてみた。
するとマダムはこう答えた。
「アナタソレタイノオンナノコトバー」と。

そこから説明をしてもらってようやくわかったのだが、どうやらタイ語は語尾を短く切ってアクセントを上げれば男言葉、語尾を伸ばしつつ下げてくと女言葉となるらしい。
要するに「コップンカッ!」と言っていれば、男が言うお礼として正解だったのだ。

知らないうちに、おれはオネエキャラになっていたらしい。

コップンカー芸人の衰退

とにかくこれで味をしめたおれは、それから何度か意図的に「コップンカー」をやったが、日を追うごとにマダム達の笑いは少なくなり、最後はおれを見る眼が「ソレモウアキター」と言っていた。

なるほど、これが一発屋を見る眼か。

「でもそんなの関係ねえ! でもそんなの関係ねえ! はい、コップンカー!」

 

小島よしおロゴ

では、おやすみなさい。